ムンク展~共鳴する魂の叫び~に行った話
東京都美術館で2018年10月27日(土)~2019年1月20日(日)に開催中のムンク展に行ってきました。
(個人的な話としての)今回の見どころ
今回の見どころは、何といっても「叫び」が来日したこと。「叫び」は複数描かれているんだけれども、今回は1910年に描かれたものが来日しました。
1983年に描いたとされるパステル画の「叫び」(同じくムンク美術館所蔵)は、2016年の1月にアムステルダムのゴッホ美術館で開催されたゴッホ+ムンク展で見ているんだけれども、テンペラ画の叫びは初対面だったので、楽しみに楽しみにしていました。
それに加え、日本でこんなにたくさんのムンクを一気に見れることないでしょ、というくらいの作品数(約100点)が来日、ということも大きなポイント。個人的には、私はムンクが大好きなので、こっちのポイントのほうが重要でした。
本当に、ノルウェー以外でここまでまとめてムンク作品が所蔵されてる美術館ってないですから、ファンとしてはそれはそれは貴重な機会なのです。日本では、ムンクといえば「叫び」以外は知らない人も多いのでしょうけれど、日本人の好きな画家No1はゴッホ、ということを前提にすると、本来は「叫び」よりも、その後それなりに売れっ子になったムンクの作品が好みな日本人は一定数いるはずで、(っていうかそれ私)、日本でムンク好きが増えたら、また特別展の企画なんかにもつながるかも…という点からも、個人的には非常に期待している特別展だったりしました。
今回見た作品たち
この2枚はフレンチぃぃぃぃぃ~って感じっすね。
ムンクが人生を語られる際、人生の前半に家族との死を経験した、というところから物語をスタートさせられる構成が多く、この地獄の自画像がその物語の最初を彩る構成要素として紹介されていた。
誰かが言っていたのだけれど、幼少期の家族の死と作風をどこまでリンクさせて語るべきか、という視点があって、必ずしもそれを前面に押し出すのは正しいのだろうか(反語)みたいな話を思い出し若干モヤったが、まあとにかくムンクの家族押しな展示方法だった。
フェルディナント・ホドラーのような絵。ホドラーも幼少期に家族が死んで、死の影があるといわれる画家。ちなみに原因も結核で、ムンクの家族と一緒。もうこの時代の人みんな結核で死んでるんちゃうん?そうなったら、それを個人の作風と紐づけるって安直じゃない?という意見も一理あるような気もしてしまう。まぁ日本にムンクを紹介するという視点だと仕方ないというのはありますがね。
これすてき。ニコライアストルップの絵で描かれていた、ノルウェーの聖ヨハネの前夜祭での焚火のシーンを思い出すようなワンシーン。後ろの怪物が女性にかみついているのが印象的。あと、女性の髪の毛が男性にまとわりつく感じや、水面の i の字がザ・ムンク。
接吻も何度も描かれたモチーフ。男女の顔が一体化してる。
マドンナも3枚ありました。
吸血鬼も何枚かありました。当時フランスで流行ってたファル・ファタム(悪女)思想がインスピレーションの源泉になっているとのオーディオガイドあり。さすがフランス留学したかぶれ、と思いました。彩りも後期印象派やマティスを思い出させる。
そして叫び。この絵の前だけは大行列で、この絵の前に行くのに数分かかりました。この絵が描かれたのはある程度成功を収めた後、最初の叫びが描かれた1893年のものからだいぶ経った頃に描かれたもの。1983年のものを他人に譲ったので、新たに描いた可能性あり、と言われているそう。
そういった意味ではこの「絶望」のほうが、「叫び」を当初描いた時の時期に近い。
ニーチェの死後、彼の妹がニーチェを描かせたもの。ニーチェのファンだったムンクは依頼に喜んだとか。この「叫び」的北欧の空の色は、ムンクにとっては超重要な時しか出さない秘蔵っ子的なものだったんだろうけど、それを出してる点に依頼をされた嬉しさ(或いは積んだお金)が伝わってくる。
カスパー・ダーヴィッド・フリードリヒみを感じる一枚。あるいはあゆのSURREAL…
ゴッホみを感じる二枚。この頃にはゴッホは相当な評価を受けていたようだから、意識していたのかなぁ…?
これはメンヘラ全開で唯一好きじゃないかな。自分をマラーに見立てるかぁ…
もちろん、これ以外にもたくさんの絵画がありました。
購入したムンクグッズ
普通だったらこんなに買わないんでしょうけど、色々買っちゃったよね。
画集にミニチュアキャンバスに、写真に携帯カバーにキティちゃんのメモ帳。
キティちゃんのメモは叫びだけじゃなくて、いろんな絵画のパロディでめちゃかわ~
終わり。